げっだーとかイデオン書けばよかった
上位存在には勝てない 退廃的
グレンラガンは1900年代中盤のSF作品にモロ影響を受けていて、
こんなかんじで。英語版DVDのサブタイトルに1952年のアメリカで生まれた『幼年期の終わり』というお話のタイトルがグレンラガンのサブタイトルに使われてる。
もう一つサブタイトルに使われていて、グレンラガンの最終話のセリフでも使われた『天の光はすべて星』というお話もアメリカの1953年で生まれたSF作品。
まずこの二つの作品を考えていきたい。
幼年期の終わり ざっくりとしたあらすじ
地球という星には沢山の人間がいました。
そこにオーバーロードという、宇宙から突然現れた生命体が地球をもっと豊かな星にしてくれました。 実はオーバーロードさんはオーバーマインドという宇宙を総括する精神体の命令で地球を豊かにさせていて、その目的は地球人を進化させ自分達と同じレベルにさせるためでした! 人間は進化しました 〜完〜
天の光は全て星 あらすじ
めっちゃ宇宙行きたい人がロケットに乗るために頑張ったけど乗ることはできずにロケットが飛びたつのを眺めています 〜完〜
(読んだことないのでだいぶエア)
どちらも、最近SFが衰退してるよね〜みたいな流れを否定できずにいる、諦め、達観って感情があると思う。
(幼年期の終わりだけで見ても、結局超高度な生命体に抗えない人間、メタ的に見ると超高度な生命体を出さないとSF作品として認められないってまじ?みたいな)
そんな雰囲気でかかれた作品の、人-オーバーロード-オーバーマインド の構図をグレンラガンはそのまま自分の作品に落としこんでて、人-月-アンチスパイラルって表して、こいつら全部人がぶっ壊してるのがグレンラガン。
こんな感じでSFは衰退してない!って意図は伝わる。でも実際本当に衰退してないって証明したいならこんな過去の作品の構図をぶっ壊しにいかなくても、僕たちが今想像もできないようなセンスオブワンダー(笑)的な作品を作ればいいわけで。 そうしないのは単純に過去の作品を否定する意図はないからだと思う。
そこで現れるのがこちら。 ラゼンカンオーバロード
人間のくせに過去の作品の上位の存在の名前を使ってるってのは人間も到達できるってことですよね!知らんけど
覚えておけ!
このドリルは、この宇宙に風穴を開ける。その穴は後から続く者の道となる。倒れていった者の願いと後から続く者の希望!二つの思いを二重螺旋に織り込んで!明日へと続く道を掘る!
それが天元突破!
それがグレンラガン!
俺のドリルは!天を作るドリルだああああ!!!!!!!!!!!
かっこいい。